1月5日から息子の家族のいる青森に行ってきました。
青森なので、
縄文時代栽培していたエゴマを尋ねたくて
世界遺産になった縄文遺跡群に行く計画もしていた。
初日に2度目の訪問となる三内丸山縄文遺跡に行き、
ガイドさんに案内していただいた。
8日には二ッ森貝塚を訪問、
えごまソムリエの鎌本有紀子さんが、ガイドをされているので、行かせていただきましたが、めちゃくちゃすごいところでした。縄文時代との対話やふれあいもできて感激でした。
帰宅して息子たちとの数々の思い出や出来事に感謝に浸りながらも、遺跡たちとの出会いを思いめぐらしていると、
あの三内丸山ででた子供専用の墓地と
多くの板状土偶が
なぜ女性だったのかが気になって
はたと、気づいたら、
胸がいっぱいになった。
そうだそうに違いない・・・
出産は命がけだから・・・
そう気づいたら、
思い出した、命懸けで産んでくれた母のことを
命がけで産んだ自分のことを。
命がけで産んでくれた母につながるその母とその母とその母とその母たちの
多くの命が、縄文時代のように尊ばれていたから、
人の社会もここまで続いているんではないかと。
縄文社会では、だから、
武器のない奪い合いのない平和な村が4000年も続いたのではないかと感じた。
自分の生かされている今が、どれほどありがたく幸せな事か、
出産という自らの命を犠牲にしても生む女性という姓を、尊び忘れた時、私たちの国日本は、女性の多くが子どもを産みにくい、子どもが育ちにくい国になっていた。
10代の子どもが自ら命を絶つなんて。
罪なき子どもや女性たちも暮しも破壊する「英雄と呼ばれる殺人」が行われているのではないかと思えた。
10月から計画していた青森行、農業では、長期に家を空けれるのは1月くらい。お正月休みを利用して計画していた。
地震が1日に起こり、羽田の飛行機事故が起こり、さすがに家を出るときは、無事帰ってこれるようにと一抹の願いをもって出発した。
幸い名古屋空港や青森空港には、事故の影響もなく、晴天の中平年にないかすかな雪しかない青森に降り立った。
いつ何時も、今にフォーカスして、あたたかい心で過ごそうと、
被災地の方々の健康を願いながら、
飛行機事故での全員無事の奇跡にふれ、生かされている意味をかみしめていた。
そんな中での青森行きには、何かの意味が待っている。
そんな予感を胸に4日間が始まった。
三内丸山遺跡で、ガイドさんからの案内の最初は10メートルもある道のことと、そのわきに並んでいる、大人のお墓だった。そして、しばらく行くと、亡くなった子どもを土器に入れて、沢山埋められている子どものためのお墓の場所だった。
当時推測では、三内丸山は400人位の集落で、その頃の寿命はだいたい30歳から50歳だと言います。赤ちゃんの死亡率はとんでもなく高かったのだと予想できます。
生まれても育たなかった子どもを、大切に土器に入れて、土に埋める縄文の人々の、子どもに対する気持ちが、ふーーと私の中に入ってきました。
生きて大きくなることが、奇跡に近かったのではないでしょうか?
子どもには、優先して食べ物を与えたでしょう。
そして、母親もお乳を出すために皆が大切にしたのではないでしょうか。
出産を終えた母親は、何人目の出産だったのでしょうか?
母親の中には、亡くなっている人もいたのではないでしょうか?
そうです。確かに子どもも死んでいますが、
母親も、女性も命がけの出産後に、
または一緒に亡くなることもあったのではないでしょうか。
きっと、子どもを産むことが、女性の大きな大きな役目で、
命がけの出産を周りはかたずをのんで無事を祈ったのではないでしょうか?
無事に生まれてくることも、奇跡で、
子どもが育ちぬいてくれることも奇跡なのですから。
ここの遺跡の土偶は、平たい人型をしていて、胸にはおっぱいのような突起があります。
女性だと言われているそうです。
なぜ、女性ばかりだったのか?
出産は、人々の神様の贈り物のような神聖な事だった。そんな解釈を聞いたことがあります。
その解釈では、出産をめでたいものというイメージがわいてきます。
今回赤ちゃんや子どものための墓地をみて、
そうだ、赤ちゃんだけでなく、命がけの出産をする女性たちも、出産を終えたり難産で命を落としたのではないかと、気づいた。
あの、女性の埴輪は、亡くなった女性たちなのではないかと。
私の中で、勝手にそうなってしまいました。
そう、女性たちも、若く亡くなっていたんだ。
母親も死んでいたのだ。
そう、気づいたら、胸がいっぱいになり、涙が出てきた。
女性という存在が、命を犠牲にすることもいとわない存在だと気づいた。生むという大仕事を果たした女性は、大きく体を老化させるといいます。
だから、縄文の子育ては、母親はお乳を飲ませるくらいで、周りで育てていたのだと思う。
その子は、その女性の子どもだけではなく、みんなで大事に育てる子どもだから。
400人が家族なのだから。
例えば障害を持った子が生まれてきても、その子に生きる力がある限り、生かされていただろうし、遠くからやってきた人との間にできた子どもでも、父親が誰でも、子どもを育てていたのではないだろうか。
今の「親が責任をもって育てるべき」
その責任って、ほとんどが女性に向けられる。
産むということが、それだけで命がけなのに、
今の社会は母親に厳しすぎる。
物で生活している現代は、お金が必要。
お金の余裕がなく、1人まで、2人までという若い夫婦の話をよく聞く。
縄文時代の母親は、生活の心配などしていただろうか?
集落の宝の子どもだから、自分だけが責任を負うことも無かったかもしれない。
日本の今は、離縁しても養育費を払わない男性が7割を超えるらしい。
そんなシングルママの貧困率は80%以上だと聞く。
こんなに物があふれているのに、子育ては、孤育てだ。
命がけでの出産は、今でも変わらない。
私は、長い間、自分の子育ての欠点を自分の至らなさだと責めてきたが、
命がけで出産した私は、実はもうそれだけで、
役目を果たしているのかもしれない。
無事に生まれた時の、安堵とすべてをやり終えた疲れや、
ボーとした感覚、
すでに30年も前のことだが、思い出すことができる。
その子どもたちも、元気に育ち、
3人の子どもは結婚し、私の孫は8人もいる。
私の母親は、痩せていて、お乳が出ないので困ったそうだ。
母親はとても厳しくて、私は40歳過ぎまで、
母をなかなか許せなかったわだかまりがあったのだが、
命を懸けて産んでくれた母へ、
その母のおかげでこの世に生まれていることに
本当に感謝しかないのです。
私を生んで、母が亡くなっていたら、
弟も生まれず、その子供も生まれていない。
命がけで産んでくれた母という存在は、
たとえ子供がいない人でも一人いる。
子どもがいなくても助産婦をされている女性も知っている。
マザーテレサは多くの子どもや母親を助けた大きな母だ。
産めなかった女性も、周りの子どもたちの母なのです。
縄文時代15000年前から続く親が子を産み、その女性が子を産み、そしてまたその子が子を産み、今の私の命は、何兆人と繋がって生きている一つの命。
この、私という肉体と不思議な魂や気持ちや心に、私から感謝しよう。
縄文時代、出産という命がけの女性が、亡くなることは、
そんなに珍しいことではなかったのではないかと想像した。
今のような母親を守る医療がないのだから。
赤ちゃんが無くなっていたのと同じように。
母親も他の動物と同じように出産によって命を落とすことは、
自然の摂理でもあることだから。
そう気づいたら、あの、女性ばかりの埴輪は、
埴輪にして、なくなった女性の命を尊んだのではないかと
勝手に想像してしまった。
縄文時代が、女系だったという説もあるけれどもわかってはいないそうです。
でも、女性たちを埴輪にして敬っていたのではないかと想像してしまいました。
縄文時代は、交易や交流がとても行われていて、気候があたたかく、狩りこそして、シカやウサギやイノシシ、ムササビなどもやりで仕留めて食べていたと言います。
ですが、人を殺める武器が一切発見されていないことで有名です。
弥生時代になると、お米ができて、食べ物を自然からいただくのではなく、作ることができるようになると、弥生人が知った所有の意識や権力の意識が生まれたのでしょうか?争いが起こり始めるようです。
北海道では、お米が作られず、縄文時代の次にはアイヌ文化になったそうです。
アイヌ語には「泥棒」がないそうです。
縄文時代、北海道のそれに続くアイヌ時代には、武器がないのです。
そして、女性たちが子どもたちが、大切に大切にされたのではないでしょうか。
4人の自然出産を経験し、8人の孫を見ている私は、
長い間、とても自分を責めて生きてきた。
子どもがアトピーになれば、自分の食べたもののせいだから、ごめんね。
必死で直してもらう皮膚科やアレルギーの専門医に行った。
赤ちゃんの時に、目やにが出て、夜泣いて寝ない長女を抱いて、小児科に行ったら、男性の医師は、調べてみましょうと、涙腺に管を入れて、大泣きする赤ちゃんを押さえつけて、挙句の果て「何ともありません」で、終わり。
あの時ほど、新米の母である自分が悔しかった。
今も、娘の泣きじゃくる声に、目が潤む。
赤ちゃんの目やにくらいで、管を入れてまで検査って、4人の子育てと、成長した姑からしたら、お医者の狭い認識にしか私には思えません。
それだけ、医療界は無知の上に検査や薬の治療?製薬会社の言いなりに陥ってしまっているのではないかと想像してしまいます。
せめて東洋医学のように、触診、耳診、脈診なども勉強して、取り入れてほしい
そんなものには保健が効かない!?
病気を治す、病気から救う、医者の本分が忘れ去られてはいないか、と素人ながら思っていた
実際長女は、食べ物のアレルギーではないかと、調べてもらったら乳製品アレルギーだったので、私がバターとパンの朝食生活をやめたら、ピタッと止まった。
自分の肌もきれいになった。
あの時に初めて具体的に、食べ物と体の不調、病気の関係を学んだ機会だった。
検査や薬剤任せのお医者になりがちなのも、根本的に、
命がけの出産に立ち会ったことがないからなのかもしれない。
出産を映画にして医師や政治家は必ず見ておくといい。
そして、今政府は武器商人に税金をいっぱい出している。戦争をあおっている。
そんな日本社会を方向転換しなくては、対岸の火と思わされている戦争に、当事者としてすでに巻き込まれている気配が漂っている。
縄文時代は、遠くの集落とも物々交換をして友好を保ち、1万年以上も続いてきた。集落によっては4000年続いているところもあるそうです。
戦争も人を殺めることも無かったその文化では、女性を大切にして、子どもを大事に大事にして、7歳くらいまでは、生き抜いてくれることが願いだったのではないでしょうか?
そこにいる大人たちみんなの願いだったのではないでしょうか?
立派な大人になるように、育て上げていたに違いありません。
何千年も平和で続いた社会。
翻って、便利な物質に囲まれている私たち、子育ちを軽視して、大人がゲームだ、金儲けだ、仕事だ、役員だと、一生懸命になっている間に、大人に大切にされているという心の貯金を持たずに成長していないだろうか。
昭和の子育ての結果が、現在政治を動かし、医療のリーダーになっている人たち、
子どもの尊さに気づかずにいるのではないだろうか。
縄文の子どもだけの墓地、女性ばかりの埴輪が、少子化に向かう私たちの社会の、自分自身の眠っていた本能を覚醒させてくれたように感じた。
今の子どもたちも、子どもの遊び場の少ない日本の社会は、
うつむいてタブレットに子どもをゆだね、車に乗せられ、暇つぶししてる
それで、幸せに生き抜く大人になっていくのだろうか?
いささか、心配なのです。
子どもが少なくなっている社会。
だから、
その社会は、平和に向かうために方向転換するときが来ている。
現代を見ると、武器を買わせるために、他国に首を突っ込み、日本は庶民から税金を半分もむしり取り、一部のお金持ちはどんどん武器や薬を作り、政府に売りつけ、私腹を肥やす。
子どもの貧困率も高く、離婚率や不妊も多く、結婚もできない、だって若者の所得は過去最低、こんな国を方向転換するには、
出産が命がけだという事、子どもは社会のだれもの宝、
誰が生んだのかなんて小さいこと。
どの子もみんな食べれるように!遊べるように!安心して寝れるように!健康に向かうように!が、要だと。
出産は命がけ、子どもは社会の宝、子育てにお金はいらない、そんな国にしたら、子どもや女性を殺す武器は、持ってはいけない、作ってはいけない、よその戦争に加担してはいけないと、はっきり言い切る大人が増えるのではないかと思うのです。
昨年、とっても大きな、出会いがありました。
子どもの皮膚がピカピカになって、薬なし、虫歯なし、眼鏡なしの15歳にするお母さんの手とぽかぽか言葉の存在です。
それを発見したのが健康しあわせ堂の星野先生です。
子どもにも、お母さんにも(もちろんお父さんにもだけど、)幸せホルモンがでて、健康に向かっちゃう超能力を発揮するのです。
縄文時代には、当たり前に持っていた、人間という動物のもつ本能だと思います。
子を育てている、お母さんたちがこの現代社会では、この本能が眠っている、蓋をしている人が多いのでした。
本能を開花させているのが、子どもへのスキンシップです。パンダの親子のように、おさるの親子のように、
気持ちいいところを本能でわかっているのかもしれません。
ママやママに代わる育てのママやパパや子どもの周りにいる人に、
やってほしい。
まず頭のつむじをあたたかい開いた手で優しく、なでなでしてあげましょう!
毎日、何回も、いい子だね~~!かわいいね~~!だいすきだよ~~!
熊本には、「子どもはもぞがらんといかん」という言葉があるそうです。
「もぞがる」とは、「理屈なしにかわいがる」という意味で、やたらおばあさんが、子どもの頭をなでてくれるそうです。
よその子でも、頭をやさしくなでなでしながら、いい子だね~~💛って言ってあげましょう。
我が家の孫ちゃんは、アトピーも、おねしょも、なくなってしまいました~~。
人には、ママには特別に、神様が愛いっぱいに設計した手を持っているのでしょう
まずは、政治家の方、お子さんを毎日、10人優しく、なでなでして、
「だいじょうぶだよ」と言ってあげてみてください。
政治家の中の子どもを守る、忘れていた本能が、きっと目覚めるはずです。
(と願いたい)
さあ、そんな政治家に、投票しましょうね‼‼‼
そうしたら、その政治家は、命がけで、子どもを守るために
方向転換してくれるでしょう。
この子たちも女性も庶民も傷つける武器は、作らないで行きましょうと、方向転換
この子たちを命がけで産んだ親さんには、子育てのおむつ代、保険料、給食費、学費、塾費用、保育料無料で、安心して子どもを可愛がれる時間を上げましょうと方向転換
消費税は、食べ物、日用品は0%に方向転換
原発地域には、避難できる場所とヨード剤を配りましょうと方向転換
津波が起こる海面住む自治体は、避難用住宅を前もって確保する政策をとる方向転換
ロシアとも、中国ともいろんな国とどんどん不可侵条約を結ぶ方向転換
アメリカの属国から、独立する方向転換
保険料、年金、介護保険下げる方向転換
自然分娩ができる支援をしましょうと方向転換
方向転換、どっちに?
苦しんでる子ども、若者、女性、非正規職員、高齢者、低所得者のみんながほっとできる、安心できる社会の方向へ。
もう、競争して、勝ち組優先社会は、一部の人だけのものになっている。
食べ物を作りやすく、市民菜園をどんどん作り、薪ストーブや簡易便所も、避難所には設置、
キャンプ道具のシュラフやエアマットを各家庭に配ろう。
この国は地震の国、そして、豊かな水と木の国、
縄文時代が1万年も続く、食べ物と火の資源のある国、わけあってみんなが大切にされる喧嘩や人殺しも武器もない国。
そんな、縄文心は、命がけで子どもを産む、
女性が大切にされる心ではないかと思ったのです。
母としての喜びを受け取れる社会
赤ちゃんを無事に産んだ死ぬほど不安な陣痛を耐えて、生まれた安堵を
多くのリーダーの男性は知らないだろう。
縄文時代は、それを誰もが知る厳しい世界だった。
だから、その女性たちを大切にする、敬うことは自然だったのではないだろうか
現代だって、命の設計は同じ、
実はそれは、誰でも簡単に体験することができる。
それが、なでなでとぽかぽか言葉、
孫をかわいがった喜び、
子どもをかわいがった喜び、
子どもをかわいがった幸せが
十人十色の親子の喜びがなでなでで覚醒する。
もぞがる喜び、体験しない社会になってしまった。
縄文人が、武器を作って、食べ物を分け合ってなかったら、
15000年も続く私たち日本に生まれた命はなかったのです。
生きれない、殺される政治は、日本が残らない未来になるのではないか。
現に、少子高齢化が急スピードで進んでいるではないでしょうか。
大切なのは、子どもと女性が幸せな事、エネルギーも供給されて、食べ物もおいしく、子育てにお金はいらない、災害が起こっても、ちゃんと2番手の生き方ができるように海辺の人々への安心逃げて施策。
今年は、人の本能(幸せ)の喜びを生み出すことに本気で取り組みます。
自分の幸せをもっと覚醒しながら、ワクワクすることをやっていきます。
それが、もう一つの平和な幸せな社会がつながっていく命のバトンタッチだと思うから。
エゴマの本、レシピの本、韓国エゴマの探検本、えごまサミットin広島、
やる気満々の元気な子に育てるママのスキンシップ教室
よりあたたかくやわらかくなる健康ぽかぽかセルフケア教室
個人施術も承ります。
どれもワクワクです。
ちなみに縄文時代の土偶は、近年、栽培した命を保つ植物のモチーフだと発見されています。そもそも人ではなく、食べ物であるクルミやクリ、ハマグリをモチーフにしているという見方が、「土偶を読む」ではっぴょうされているそうです。
ただ、考古学的にはかなり異論があるそうです。
食べること食物を敬い感謝で祭った。土偶、
命が健やかでいるための祈りが込められていたことには変わりないですね。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。